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ラフなのは仕様です――スターン・コンダクツ・シェエラザード

Posted by ジュスマルダホス on 25.2012 極私的名盤   0 comments   0 trackback
staern1.jpg

R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」より第2曲「モルダウ」、歌劇「売られた花嫁」序曲
グンナー・スターン(グンナル・ステルン)指揮ロンドンpo.


Daiichi Kikaku(Excellent Classics Series) OB-4010


「スターン・コンダクツ・シェエラザード」。またその類の書き出しか。どうせメジャーなアイザックさんじゃ私がピクリ動かないのは皆さん百も承知だろう。その前に指揮者じゃないし。じゃあ、息子のマイケルか。ちょっと興味ある。

今回のスターンさんはかねてから興味のあったスターンさんである。ごくごく一部の人(クラヲタと読んでください)から捜索願が出されているグンナー・スターンさん。実在系駅売りワゴン指揮者の中でも群を抜いて情報のなかった謎のマエストロである。私も高校のときに近所のレンタルCD屋のワゴンでその名を見て以来、17年ほど忘れていた名前であったが、先日ふと彼のシェエラザードを某オークションで見つけ、頑張って頑張って競り落としたのだ。入札1、落札価格300円。入札の1はもちろん私。どうだこの閑散っぷりは。マイナー好きクラヲタでも気がつかないほどの存在感に好奇心をくすぐられる。

こんな感じで情報も存在感もなかった謎の多いグンナーさんであるが、ようやく最近Wikipediaに登場しており、一部の謎が解けつつある。

 グンナー・スターン(Gunnar Staern:1922-2011)。
http://sv.wikipedia.org/wiki/Gunnar_Staern


ファーストネームからなんとなく予想が付いていたが、やはりスウェーデンの人だったか。なので以下グンナル・ステルンで行くことにする。イェヴレ響やマルメ歌劇場の指揮者をしていたらしい。しかも、1922年生まれで2011年にお亡くなりになっているので、89歳まで生きていたことになる。なかなか長寿ですな。

ひとつ謎がとけたついでに別の謎が。グンナルさんはこのワゴンシリーズ(Excellent Classics Series)では他に確認できるだけで序曲・前奏曲集(モーツァルト、ワーグナー)、チャイコの悲愴、それから新世界を担当しているらしい。17年前に私が見たものの中にはチャイ5もあったような気がするが、どうだっただろう。謎というのは、このシリーズ、他はメジャーレーベルの有名な演奏ばかりなのである。このあたりの情報にめっぽう強いサイト"Kechikechiclassics"さんでもルービンシュタイン、トスカニーニ、ベームの音源をお持ちとのこと。私も高校時代に見たときはフツーのラインナップだった印象がある。

でもなぜ、そのラインナップの中に無名中の無名なグンナルさんが? しかも、おそらく正規にCD化もされていないこの音源をどうやって手にいれたのだろうか、しかもわざわざ(というのも当時のワゴンCDは、著作隣接権改定前で、コピーCDが合法だったようだ)このレア音源。謎は深まるが、今はとりあえず置いておくしかない。


で、肝心の演奏について。

オケは名門ロンドンpo.。ロンドンのメジャーオケのなかでは一番ムラがあるオケだが、この演奏もご多分にもれず、極めてムラのある演奏を展開している。弦楽器はすぐバラバラになるし、勢いはいいけどなんだかジャリジャリした音で進む。音程ももちろんラフ。2楽章は木管の見せ場ソロが多いくせに何だかテクがあやしい。特にファゴットはどソロで毎回のようによろけて音をひっかけている。金管はf以上のところがベーベーといつもうるさい。そして時々ひっくり返る。3楽章のメロディもデリカシーがなく、聞き覚えのカラオケをみんなで歌っているような状態。

そして4楽章。切れ味なんてあるわけがない。それだけならまだしも、曲が進むにつれてだんだんほころんでくる恐怖。中盤以降なんか結構ぐちゃぐちゃ。難破を表現するどころではなく、本気で難破してます。これまで何とか持っていた打楽器も「ここだったかな~」という感じで恐る恐る打ち込みを入れてやっぱり違っていたりと、だんだんむちゃくちゃになる。岩にぶつかって船が沈むクライマックスも、座礁でゲームオーバーという感じの情けない展開。久々に出会った糞演奏である。原因は多分練習不足。

なのに何だか最後まで聞けてしまう。まず考えられるのは、謎の指揮者によるレア音源というフィルターが掛かっているからだろう。これがメータやハイティンクの演奏だったら間違いなく激怒する。これがシェルヘンやチェクナヴォリアンの演奏なら、崩れるのは知ってたけど彼らにしてはおもろないやんけと文句をいう。恐るべしレア音源フィルター。でもそれだけではないわけで、余計なことをしていないのがいい方に転んだのだろう。実際は「余計なことすらする余裕が無い」といった状態だと思うが。いずれにしても、自然に、素直に音楽が流れているのである。そこだけは一応、強調しておく。おすすめはしませんけど。

それにしても、珍曲ならともかく、これだけの名曲なら手近にもっとましな名演のCDが転がっているはずであろうに、こんなラフ全開のレア&糞演奏をどうしてワゴン系ベスト100にわざわざ引っ張り出して来たのであろうか。まさかラフさ一色で統一したかったわけではあるまい。というのも、このCD、演奏だけでなく、色々とラフポイントが散りばめられているからである。

まず録音。どうやら古い録音だから仕方がないところがあるとしても、えらくジャリジャリしているのはなぜ?ちなみに、プチプチ音が聞こえないので、板起こしではなさそうだ。

次にリマスタリング。明らかにピッチが低い。

そして言い逃れできないのが、ジャケット。拡大して確認してみよう。

staern1.jpg

まずシリーズ名が"Excellent Classics Selies"。シリーズがSelies。SeriesがSelies。間違いが日本的ですな。「RトLノ区別モデキナイクセニ!」と開国を迫るペリーに片言の日本語で怒られますよ。

そして交響組曲が"Symphony Suite"。普通は"Symphonic Suite"のはず。でもまあこれはセーフか。

そしてシェエラザードが"Shenerazade"。「シェ」の部分が"Sche"じゃないかなというのはセーフとして、「シェネナザード」はアウト。カップリングは"My Fatherland"のみ。肝心なのは「わが祖国」よりもむしろ「モルダウ」だろうが。しかも表には売られた花嫁が書いていない。


staern2.jpg

さらに裏返して、曲目の面。Seriesは相変わらずSeliesと言い張っている。作曲者はリムスキーコルサコフ。リムスキー「=」コルサコフが通常表記だと思うが、まあセーフか。

そして、曲名は「シェラザード」。オークションの出品時もこう書かれており、出品者のタイプミスかと思っていたのだが、元からこう書いてあったのね。そして細かいけど3楽章が「アンダンティーノ・クワジ・アレグレッ【ド】」。心置きなくレッドカード出しましょう。


とまあ、こんな感じでまあ何もかもラフな作りなのである。グンナルさんのもうひとつのCD「序曲・前奏曲集」もフィガロの結婚がワーグナー作曲らしいので、ラフなのはこの会社の仕様なんでしょう。ここまで細かく間違いがちりばめられていると、演奏のクオリティとシンクロして、逆に微笑ましくなってきた。まさか、そこに合わせてわざわざラフな演奏を持ってきたんではなかろうか、とか変な想像もしてしまう、なんとも困ったCDなのである。

ちなみに、モルダウはトランペットがうるさいもっさりした演奏。一番心配していた「売られた花嫁」だが、演奏に勢いがあり、アンサンブルも比較的ましで一番いい演奏だったことを追記しておく。
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オーケストラ蝸牛考――ロンバールの幻想

Posted by ジュスマルダホス on 22.2012 極私的マエストロ   0 comments   0 trackback
lombard_berlioz.jpg

ベルリオーズ:幻想交響曲、序曲「ベンヴェヌート・チェッリーニ」、序曲「ローマの謝肉祭」
アラン・ロンバール指揮ストラスブールpo.

Erato R25E-1028


私の育った西の辺境では、「もみ上げ」のことを「鬢」といっていた。多くの人がそれは古語と認識するはずの「鬢」。しかし私の故郷では一般語として通用する。多分今でも。理髪店でもみ上げなしを「ノービン」という。間違いなく「No 鬢」であろう。2012年の今ではオードリー春日のみに残るテクノカットが流行った20年前、理髪店に行くと「ノービンにしますか?」と必ず聞かれていたものである。地元の人は接続詞「けん」や逆説の「ばってん」、形容詞の語尾「~か」、目的の助動詞「ば」、そして主語の「の」はどうやら方言らしいと知っているが、「鬢」が方言であるとは思っていない。

方言というものは、都の流行り言葉が伝播して辺境の土地に残ったものが多い、というのが定説になっている。先ほど挙げた目的の助動詞「ば」は「をば」であるし、主語の「の」はそのまま「の」として高校時代に古文で習った。今のわれわれには理解不可能と思われる琉球語でさえ、日本の古語のちょっとした変形で割と説明できるらしい。

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ある日、古本市の片隅に埃をかぶった中古CDの山を見つけた。遠目からみても黄色、赤白青のトリコロール、あるいは赤地に白文字、白地に黒文字に青ライン、いつも見るメジャーレーベルばかりであった。

ふとそこにみどりのスタンプのついた背表紙を見つけた。エラートだな。マルティノンが来るか、コープマンが来るか、あるいはパイヤールか・・・

ベルリオーズ/幻想交響曲、アラン・ロンバール指揮ストラスブールpo.。

アラン・ロンバールと手兵ストラスブールpo.がイケイケの時代、35年位前に録音した幻想をやっと手に入れた。私が中高生の時には「レコード店」の廉価版コーナーで必ずといっていいほど見かけていたから、全く興味がなかったのだが、今ではロンバール/ストラスブールpo.のCDはどれも相当なレア物である。同じ路線にフレモーなんかもいますな。

私がロンバールに今頃興味を持ち、幻想を買ったのはレア物が安く落ちていたからではない。正直に言うと、それもある。しかし、なぜロンバールとストラスブールpo.が70-80年代にもてはやされていたのかが知りたかったのである。つまりは、芸風がまったく想像つかなかったから、どんなもんか今頃知りたくなったというのが本当のところである。

早速聞いてみる。とにかく勢いがすごい。アンサンブルはフランスのオケにしてはこれでもかなりマシなほうだが、どうも音程にラフなところがある。ソロも、潤いという点ではちょっと劣るが、存在感があり、なかなか聞かせてくれる。それにしても、こんなに一直線に、豪快に鳴らしているとは想像だにつかなかった。特に打楽器がすばらしく、打ち込みは小気味よいし、何よりここぞというときの迫力が凄い。

そうか、これか。彼らがもてはやされていたのは。

50-60年代のパリ音楽院、シャンゼリゼ劇場o.、パリ・オペラ座o.、ORTFso.、そしてラムルー、コロンヌ。彼らの録音はとにかくはっちゃけていた。指揮者もオケも、そして録音も。ステレオ録音の初期は彼らのいやに元気な録音でいっぱいである。アンサンブルが崩れようが、どこかのパートが落ちようが、ポンコツのまま構わず楽しそうに進む。録音の妙と分析的な解釈がウリと言われていたアンセルメ/スイス・ロマンドo.も、今聞いてみると、彼らほどはっちゃけていないが同じポンコツさを感じる。

しかし、ステレオ録音が落ち着くとともに彼らの録音も影を潜めはじめる。そうして60年代後半、パリ音楽院o.の終焉とともに新録音は完全にストップする。90年代に佐渡裕がラムルーを牽引するまで、彼らの元気さどころか名前すら聞かなくなってしまうのだ。

その一方、70年代に地方に新設されたオケが一躍脚光を浴びる。J-C.カサドシュ率いる北のリール、プラッソン率いる南のトゥールーズ、そしてロンバール率いる東のストラスブール。それぞれ独自のカラーを出しながらも、何かしら猥雑なエネルギーを放出していた。そう、彼らのオーラが、70年代には地方に移ったのである。懐かしいエネルギーが地方で息づいていたのである。しかも前時代に比べて、ほんのちょっとだけ上のクオリティをもって。

70年代のフランス音楽界は、マルローとランドフスキのかいあって、「地方の時代」といわれたが、その柱には、なんだかんだで、良くも悪くも、紛れもない都の息吹があった。しかも当の都では忘れ去られた息吹が。オーケストラ文化もまたカタツムリ的に伝播しているかのように。

最近、マルク・アルブレヒト指揮のストラスブールpo.がR.シュトラウスやベルク、フランス近代物などの録音を出している。ロンバール時代の勢いはそのまま、クオリティはかなり上がっているようである。相当上手いぞ。もうパリだの地方だのいう時代でないんだろうな、と実感した。

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西の辺境に帰省してバスに乗った。通学途中の中高生たちが標準語に近い言葉をしゃべっていて軽くカルチャーショックをうけた。彼らに「鬢」は通じるのだろうか。
  
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