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フランスの踊るフジ子 ―ジャノリのショパン

Posted by ジュスマルダホス on 30.2007 極私的名盤   0 comments   0 trackback



ショパン: ピアノ協奏曲第1番ホ短調、第2番へ短調、ワルツ全曲(19曲)
レーヌ・ジャノリ(p.)  ジョルジュ・セバスティアン指揮 バーデンバーデン南西ドイツ放送響

Accord 4767948 (2枚組)


 私が、というわけではないが、長らくCD化を待ちわびていたディスクが出た。しかも短期間で2回も。業界がどうなっているのかは私には分からないが、垂涎のレア盤がひとつCD化されると、最近は他社からも矢継ぎ早にリリースされることが多い。マスターテープを持っているところが、1度貸し出したのを機に、と他にもあちこちへライセンス契約して貸し出すからだろうか。カミラ・ウィックスのシベリウスしかり、モニク・ド・ラ・ブルショルリのモーツァルトしかり、シモノフのロイヤルpo.ものしかり、チェクナヴォリアンのオルガン付しかり、あるいはカラヤンのEMIチャイコフスキー456もそのようだ。

 レーヌ・ジャノリ(1915-1979)のショパンは、複数他社からリリースされたわけではないが、マスターを持つアコールから半年間に別枠で2度出されたもの。かねてからCD化を待ちわびる人は多かったようだ。最初にコンチェルトとワルツ全曲の2枚組がリリース。社内でもこれは単独で再発すべきと判断されたか、実は相当人気の演奏だったのか、その数ヵ月後にはコンチェルトのみがリリース。私はどんな演奏かはあまり知らなかったのだが、シューマン全集でしか名前を聞かなかった実は名ピアニストらしいレーヌ・ジャノリという人がどんなショパンを奏でているのか、というまっとうな興味からよりも、短期間で2回も発売されたこの現象、事実に非常に興味を抱いて、聞いてみることにした。

 コンチェルト1番。ジョルジュ・セバスティアン指揮のオケ(バーデンバーデン南西ドイツ放送響)が物々しく導入。ショパンに合わんやんけ。なんだそりゃ。期待して聞き始めただけに急に心配になった。そういえば、セバスティアンって、ハンガリー出身だったかと思い出す。なんとなく古のフンガロトンのにおいがする。線がきつく、ちょっと古臭いロマンティックな身振りで、一拍一拍が重くちと鈍重。とはいえピアノやピアニッシモの部分で仄暗い、夢幻的な表情を帯びるのがいい。

 全然颯爽としていない伴奏に導かれ、ジャノリの登場。ちょっと古ぼけた録音のせいもあるのだろうが、なんだか当たりの柔らかいハンマークラヴィーアあたりで弾いたような感じである。たおやめ風情の身のこなしと、仄暗い煌きをもつ音色が印象的。呟くように訥々とし、決して巧くはないがこりゃあぽっと出の若造にはできない業だ。伴奏と同じく、ピアノやピアニッシモの部分が独特。沈潜した純な音にはっとさせられる。これは他の演奏では決して聴けない。

 伴奏は、これがまた、ピアノと噛み合わない。必ずちょっと遅く出てくるのがほほえましくもあり、イライラもする。ピアノはというと、そんなオケにお構いなく泰然自若にルバートをかける。まるで老夫婦だ。融通が利かずいつも難しい顔している頑固なお爺さんと、「この人はいつもこうなんですよ」と、微笑みつつ自分のペースは崩さない物腰柔らかなお婆さんのような (註:65年録音なのでこのときジャノリは50歳。実はこのとき決してお婆さんなんかではない)。

 そんな老夫婦だから、ちょっとテクニックを要する箇所ではお婆さん迷わずヨタる。構わずヨタる。お爺さんも、合わせてヨタる。一緒にヨタる。愛情豊かにヨタる。気持ちはわかるけど、そんなとこだけ合わせてどうする爺さん。そして時々録音もヨレる。どうやらマスターテープの保存状態があまりよくなかったらしい。

 唯一ビシッと決まるのがもう一度冒頭のテーマがオーケストラで戻ってくるところ。今までギクシャクしていただけに充実感も一入だが、それまで上手く合わせていたとしてもこの決まり方は文句なし。ビシッと決まっている。やるときゃやる、カッコいいぜ爺さん。

 この芸風となると2楽章は期待どおり、夢うつつのフワリ感一杯の曲に仕上がっている。ジャノリの音の持つ、ちょっとくすんだ煌きはまさにこの楽章のため。ジャノリの体が持つ、まるで詩を読むような泰然自若なルバートもまさにこの楽章のもの。まるで彼女の師コルトーがステレオ録音したかのようなころころした音の粒。セバスティアンの、今度は淡麗ロマン風味のバック、これもまたいい。いつまでも浸っていたい2楽章である。

 となると、心配になるのが3楽章。舞曲のリズムに彼女の腕が追いつくのか、舞曲のテンポにオケが乗り切れるのか。このままじゃヨタったまま終ってしまうのでは・・・という心配でいっぱいになる。

・・・

 ジャノリさん、セバスティアンさん申し訳ございませんでした。全然心配いりませんでした。

 テクニックとかそんな浅薄な心配をこえた「舞踏」がそこにはあった。テクニックはないが何か精神性に訴えかけてくるとか、エスプリに溢れているとか、そんな詐欺っぽく分かりにくいものではない。誰もが聞いてわかる軽やかなリズム感に満ちているのだ。セバスティアンはやっぱりちょっと重いけど1楽章とは見違えるくらいに生き生きしている。しかも中後半部のいかにもロマン派なアルペジオ部分をドラマティックではなく、密やかに攻めるとは、うーんニクいぜジャノリさん。コルトーですらそんな業は持っていなかったと思う。そして最後まで見得を切らずに曲を締める。皆が頼るロマン派調味料を一切使わずここまでやるとは・・・

 最初の心配はどこ吹く風、2,3楽章に関してはこれがベストになるかもしれない気に入りよう。

 巷のショパン・ベスト版風情ではないが、どうしても聞きたいという人が多いのも首肯けた。なぜだか頭から離れない。どうも忘れることができないのだ。

 と、ここまで書いて、今こんな人はいないのか・・・と思い返してみた。テクニックはちょっと頼りないが、朴訥で、その人にしかない独特の音色、夢うつつな、あるいは非現実的な時間感覚を持つ人・・・小品集しか聞いたことないが、フジ子ってこんな人なんじゃないか。周りが持ち上げるのがうっとうしくて(←西本某もそうですが)熱心には聞いていないが、この人が一番近いのかもしれない。ただ、ジャノリの軽やかなステップは、彼女だけのものじゃないのかな・・・

 そろそろ虚心でフジ子を聞いてみようか。結局ジャノリに戻ってきそうな気がするけど。
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