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RIP(訃報)いろいろ その3 :ドナルド・ジョハノス

Posted by ジュスマルダホス on 13.2007 極私的マエストロ   0 comments   0 trackback
RIP(訃報)いろいろ その2 より

ドナルド・ジョハノス (1928)
Donald Johanos



07年5月29日、フロリダ州ネイプルズで死去。79歳。
http://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Johanos

**略歴**

1928年、シーダーラピッズ生まれ。
1952年、イーストマン音楽院入学。
その後ロチェスター・フィルのヴァイオリン奏者を5年間務める。そこで当時音楽監督をしていたエーリッヒ・ラインスドルフに指揮を学ぶ。
1954年アメリカ交響楽団協会(ASOL)とロックフェラー財団からの奨学金を受け、3年間ヨーロッパで学ぶ。そこでビーチャムやクレンペラー、カラヤンなどに学ぶ機会を得る。またオーマンディとラインスドルフが彼の後見人となる。
1957年、ダラス響の准指揮者(当時ダラスの音楽監督はワルター・ヘンドル)となり、同年オランダ放送国際指揮者コンクールで優勝。
1962年、61年よりダラスの音楽監督を務めていたショルティがコヴェントガーデン王立歌劇場に転出するのに際し、ジョハノスが音楽監督に就任。
任期中に、VOXにラフマニノフ、コープランド、アイヴズなど、いくつかの録音を残す。このコンビでカーネギーホールでの演奏、リンカーン・センターでのモーストリー・モーツァルト音楽祭出演も果たす。
1970年、ダラスを辞しピッツバーグ響の准指揮者、同響室内管の音楽監督へ。
1973年、スタインバーグ/ピッツバーグ響の同行指揮者として来日。
1976年、メキシコ国立響の首席客演指揮者に。
1979年、ホノルル響の音楽監督、ハワイ歌劇場の芸術監督に(?94年)。

http://www.dallasnews.com/sharedcontent/dws/ent/stories/DN-johanosobit_01met.ART.West.Edition1.43ae3ff.html
http://the.honoluluadvertiser.com/article/2007/May/31/ln/FP705310323.html
http://www.playbillarts.com/news/article/6579.html
http://www.naplesnews.com/news/2007/jun/02/internationally_known_conductor_johanos_dies_naple/?breaking_news

新しい才能の目利きや擁護に熱心だったらしく、ダラス時代、副指揮者(アシスタント)に同響初の黒人指揮者ポール・フリーマンを登用し、このことで議論を巻き起こし脅迫にあうということもあったそうです。詳しい事情は専門家でないので分かりませんが、この当時アメリカは公民権運動全盛期。しかもダラスのある南部は黒人蔑視が根強く、時代的にも地域的にもこの登用はホットだったということでしょう。両陣営から脅迫を受けたようなことをかかれていますが、白人側からの脅迫はまあ分かるとして、黒人側の脅迫とは「こんなに黒人に対して差別的な地域で、白人音楽の指揮者に黒人を登用するなんて危険だ、時期尚早だ」とかいうことでしょうか。

また、若き日のヨーヨー・マが彼に目利きしてもらいたいとジョハノスの元へつれてこられたという話もあります。

現代音楽も積極的に取り上げており、アメリカの作曲家・作家・出版社協会?から「現代音楽に対する意欲的なプログラミング」を評価されて表彰されています。

またホノルル響の楽員のサポートや、コミュニティや政治との連携によって団の運営を財政的にも安定させたという評価も見落とせませんね。同響の初レコーディング(ダン・ウェルチャー作品)も彼の指揮によるものです。もとから1993/94年シーズンに辞任する予定だったようですが、退任のラストコンサート(マーラー作品の予定だった)が労働争議で流れてしまったという残念な話もありました。

1973年にピッツバーグ響と来日した際のプログラムはこちらにあります。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page154.html

9階の公演のうちジョハノスの指揮によるものは4月11日大阪フェスティバルホールと、4月21日東京文化会館の2公演です。曲はどちらもモーツァルト38番、ラヴェルのスペイン狂詩曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ストラヴィンスキーの火の鳥組曲ですが、このときのヴァイオリンはなんとチョン・キョンファでした。

ちなみに私はスロヴァキア放送響とナクソスに入れたグリエールの交響曲第3番「イリヤ・ムーロメッツ」を持っていますが、ちょっと冗長な曲想もあるのでしょうが、実はあまり印象に残っていません。もう一度聞いてみようと思います。

合掌。
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